推敲スキルについての雑感

私は、客先に常駐して、コンピュータシステムの開発プロジェクトなどに携わっています。規模の小さいプロジェクトなので、リーダーからアーキテクトから、レビュアーから、色々な役割を担っています。今日はその中でも、レビュー・推敲についてのお話しです。昔から良く思うのですが、その客先には「レビューして品質を高める」という文化がありません。無いことはないのかもしれませんが、プロジェクトのマイルストーンの一つとして、「内部レビュー」というものがありません。レビューに工数をかけると効率が悪いと思っているのか、レビューそのものをする必要がないと思っているのか、とにかくないのです。そういう文化の帰結として(と私は考えているのですが)、終わってみると10億円近い赤字を出しているなんてプロジェクトを聞きます。勿論、レビューをしていても、元々の成果物を作る人間のスキルやレビュアーのスキルがなければ、同じことになるでしょう。しかし、品質を高めるという意識がないことに、私は危機意識を持ちます。担当個人個人ではもっているのでしょうが、会社としての意識が感じられません。
しかし、客先の文化をスケープゴートにするわけにはいかないので、自分の関わるプロジェクトだけでも、仕様書・設計書・プログラムソースコード・テスト仕様書のレビューを必ず行うことにしています。レビュアーになることが多いので、色んなドキュメント・ソースコードを読みます。最近特に思うことは、設計をするための基礎学力を持っていなかったり、プログラムを書くための基礎教育を受けていない人材が多いということです。ドキュメンテーションで言えば、

  1. 決められたフォーマット・ルールを守らない。
  2. 句読点(特に句点)が正しく付けられない。
  3. 多数の誤字脱字
  4. 一意に解釈出来ない仕様(?)を書く。
  5. 主語と述語と目的語の対応が出来ていない。(要するにステートメントになっていない)
  6. 自分(作成者)の理解できない言葉を書く。
  7. アウトラインを抜き出したとき、論理的な展開になっていない。
  8. 再レビューの際に、前回の指摘事項がまた指摘される。

など、レビューを始める前提条件を満たしていないドキュメントを多数見かけます。レビュー工数が無駄になるので、自分で推敲して、チェックしてからレビューにかけるようにお願いしていますが、以上のようなことが後を絶ちません。冷徹に推敲するというトレーニングをしていない様です。そこから話さなければいけないのか、ということが多くて、愕然とすることがしばしばあります。中学生・高校生のときに学んでいなければならないことのように思うので、なおさらです。そういう人材をOJTという手段で教育するのは非常に忍耐のいる仕事です。過去にもそういう人材を教育したことがありますが、自己チェック出来るようになるのに、3年かかりました。愚痴のようになってきてしまいました。建設的な指摘をしようと意識して居るのですが、どうしても、「何でお前がここに居るんだ?」と心の中で思ってしまいます。要するに能力的に問題があるのですが、それをむげにクビにするわけにもいかない事情があるわけで。
さしあたりは、

  • レビュー記録を活用し、自分が何度も同じ間違いを犯していることを認識させる。
  • 教育プログラムを本格的に策定する。(読書すべき図書の一覧を示す。)
  • レビューにかける前にどういう観点でチェックしてきたか報告させる。

などを実践して行きましょうか。
世間ではどうなんでしょうかね。私と同じ苦しみを持っている人たちは、どうやって解決しているのでしょうか。是非とも知りたいところです。